やりがいがある仕事をしたい。
仕事を充実させたい。
仕事をする人なら誰もがそう思うのでは?
一方、
「家庭が第一」とか「趣味に時間をかけたい」とか。
仕事以外の大切なものを持っている人も多いはず。
問題なのは、
自分は家庭が第一、だから、仕事はあんまり面白くないけどしょうがない。
自分は仕事に時間をとられるのはイヤ、だから、あまりやりがいがないけどしょうがない。
と、思っている場合。
「仕事にやりがいを感じるかどうか」と「仕事にかける時間が長いかどうか」は、全く別モノ。
基本的には、そこに因果関係はないので、”だから”という接続詞でつなげるのはおかしい。
ちなみに、逆に、「自分の仕事は忙しいから、xxxxできないのはしょうがない。」というパターンの人もいる。
コーチングのクライアントさんで、どちらの場合でも「本当にそうなの?」って聞いていくと、全くそんなことなくて、単なる思い込みだったりすることもしばしば。
欲しいものを手に入れるために妥協が必要なことはありえますが、思い込みでしょうがないと思ってしまうのは、悪い言い方をすると、単なるあきらめだったり、逃げなだけなんじゃない?ってことになったりします。
人生において、妥協することが必要な場面は間違いなくある。それができないのは逆に問題だけど、でもあきらめの妥協を積み重ねている人はずっと人生に不満を抱えたまま生きていくことになってしまいます。また、妥協を抱えた心理状態は、自分本来の力を発揮することの妨げにもなります。
「しょうがないから」と思っていること、それは意味のある妥協なのか、一度考えてみたいものです。
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